この家は、一代で終わらせるには価値がありすぎる。

長持ちする家をとことん追求し続ける社長のブログ

カテゴリ: グリーンライフ物語

「まずさ、当たり前の事をしっかりやる。ここからだな。」


澤田さんが言う当たり前の事とは、

クイックレスポンスをする。

約束を守る。

期限を守る。

時間を守る。

決めた事をやる。

など、どれをとっても基本中の基本で、それが出来なかった場合の言い訳は一切許されません。



「みんな、当たり前の事が出来ないのに、0宣言なんか徹底出来るか!!」

「1秒1秒真剣に生きるんだよ!」

「まずは、お前からちゃんとやれ!」


電話の向こうから檄が飛びます。


澤田さんのセミナーを聞いたお客様がグリーンライフグループのメンバーの現場に行ったら合板を使っていたとの事

0宣言の徹底を掲げた矢先の出来事でした。


そのお客様を失望させた責任は全てグループのリーダーである私の甘さにある事。

それは、私たちを信用し、リスクと責任を全て背負って、一般ユーザーの前で全身全霊で「0宣言の家」を伝えている澤田さんへの裏切りでもある事。


もう一度「基本」からやり直しです。

みんなが、当たり前の事を当たり前にできるようになるまで。

「まずさ、0宣言も徹底できないようじゃ駄目!」

「あんなに苦労してやっと作った、どこにも無いにかわドアをどうして使わないの?」

「どこだ、その、0宣言のいいとこ取りしてるとこは!」


「もうさ、そういうところは、やめてもらおう。
俺たち利益が目的じゃないんだから、イイじゃん、本気でやるとこだけ残って日本一を目指せば。」


グループ全社で「0宣言」を掲げたものの、「0宣言」は我々が考えた以上に大変で、なかなか徹底できていませんでした。

人間どうしても楽な方に行きたがるもので、あくまでも、

「お客様に説明し理解していただいた」

という大義名分をもって、本部が指定する以外の「偽物」を使うという、法の網をくぐり抜けるようなことがおきていたのです。



0宣言の家には、建築素人のお客様、いや、建築プロ(利益を追求するという意味でのプロ)から見れば、

「そこまでやらなくても・・・」

という部分があります。


要するに、完成すると見えなくなる部分にも徹底的にこだわっているのです。


「俺は、もう、家づくりで1mmも嘘をつきたくない。」

澤田さんが、いつかの酒席で我々に言った言葉を思い出します。


「プロとして健康に悪いとか、長持ちしないとかユーザーが不利になると知った以上は、努力して極力ゼロにしようよ。」

と、

「俺が現役だったら、こんなめんどくさい事絶対やらないけどね、、」

という落ちはありましたけど、目は本気でした。

「0宣言、もっと徹底的にやろうよ。」

「もっとなんかあるでしょう。お客さん目線で考えれば出てくるでしょう。」


スタート時の0宣言は、

「合板0」、「修正材0」、「クロス0」、「木工ボンド0」、「IHクッキングヒーター0」、「防虫防腐材0」

の6項目でした。


間もなく、

「サイディング0」、「グラスウール0」、「防虫畳0」、「化繊カーテン0」、「化粧合板ドア0」、「シロアリ駆除0」

の6項目が加わり、現在では、12項目の0宣言になりました。


特に、苦労したのが、「化粧合板ドア0」の「にかわドア」です。


普通に出回っているドアは、合板に木目調の「柄」がプリントされたもので、木製ドアと言われるものも同じで表面に、1mmくらいの「木」が貼ってある程度です。

今まで使っていた木製ドアも、修正材でつくった骨組みに、1mmくらいの「木」が貼ってある、いわゆる偽物の木製ドアでした。

これです。修正材に貼付けた度淡く部分の断面↓

68f33b6a.jpg


1年がかりで独自開発したにかわでつくったドア枠部分の断面↓

3d60a534.jpg



無垢のドアをつくるのは、物理的にはどこでも出来るのですが、問題はコストです。

まして、にかわは手間がかかるため、倍から3倍のコストがかかります。

話が長くなりますので、コストについて結論を言うと、中間マージンのカットはもちろん、物流から全てのコストを見直す事と、グループ全社で共同購入する事によるスケールメリッットで、いわゆる「偽物のドア」とほぼ変わらない価格で「本物のドア」をユーザーに提供できるようになったのです。

「長谷川さん、グリーンライフグループをどうしたいの?」


「真面目に、日本で一番の工務店グループにしたいです。」


「日本一って言っても、色々カテゴリーがあるけど、具体的には?」


「えーとですね、着工棟数、お客様満足度、スタッフ、社員の満足度、クオリティ、、全部です。
理想の工務店の集団=グリーンライフグループにしたいんです。」

「澤田さんがいつもセミナーや著者などでおっしゃってる、戦後、ハウスメーカーや建材メーカーが創り上げた間違った日本の建築業界を変えるんです。」
「いや、変えれるくらいの力を持つことです。」




「分かった、じゃ、やろうよ。」


「えっ、、、」

「 はい。」


「その代わり、俺は、そこからは、1円も貰いたくないから、俺も、長谷川さんも無報酬でね。」

「はい。」


グリーンライフグループを澤田さんのアドバイスを得ながらスタートし、3年になります。
現在、澤田さんの推奨する0宣言を掲げ、全国に37社ものネットワークを築き上げましたが、0宣言以外は、ただ、全国紙に広告を掲載したり、商材の共同購入をしているだけのグループにすぎず、正直なところ、全員がひとつになって目指すもの、明確なビジョンがありませんでした。


たった、冒頭の10秒ほどの澤田さんとわたしの会話で日本一の理想の工務店グループを目指して、グリーンライフグループは、新たな、そして、本気の第一歩をふみだしたのです。

一週間の夏休みを終えて、本日より業務再開です。

実は、この休み中、グリーンライフの前身である磐梯園芸センターの創業者でもある父が14日に他界し、昨日18日に告別式を済ませました。

親父らしく、会社の休みに合わせたかのような最後でした。



父の死で、色々な大切なことを学びました。

その中で一番は、自分のルーツ、血のつながりの大切さ、家族の絆、そして、人と人との心のつながりの大切さなど、人としての大事な部分を改めて見直すことが出来、今まで知らなかったこと、知ろうとしなかったことが父の死で分かりました。

さらに、半分人ごとのように思っていた沖縄の問題や戦争も、自分の出生にかなり大きく関わっていたということも分かりました。

父の怪我からちょうど22年が経ちますが、この22年間、仕事にかこつけて、その一番大切な部分を仕事の次にしていたように思います。

その大事な部分を一番におかないと、仕事もうまく行くはずもないということも分かりました。

父が私に最後に教えてくれました。



また、同じく、会社のルーツも改めて再確認しました。

グリーンライフのルーツは、特に、ログハウスをはじめとする住宅の始まりは、まさに、父の仕事中の「怪我」です。

本日、社員一同で絶対に「父親のような怪我をしない、させない」と再確認して仕事を開始しました。



自分で言うのもなんですが、今回、父の死で、人として一回り成長させてもらったように思います。


気持ちも新たにして、感謝の気持ちを忘れずにグリーンライフも一回り成長させたいと思います。

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