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その当時、ようやくログハウスの法律(丸太組基準法)が出来たばかりで、役所の人も良く分からなかったと思います。


同級生の設計士に手伝ってもらい、どうなることかと思いましたが難なく建築確認をクリアし、無事に着工することに。
(実は、当時の法律では、最高の高さとか、色々と違法建築でした。)


ログハウスの知識はもちろん、建築の知識、輸入のノウハウもなにもなく始めたわけです。

ログハウス関係の書籍を買いあさり、まずは、工法をどうするか決めなければいけません。


まずは、収まりが簡単なので、丸太じゃなく角材にすることが決定、次にグループは上下に溝を掘り、
その溝に木を差込み隙間が出ないようにするのと、横ぶれを防ぐこととしました。


ノッチ部分については、さすがに頭が回らなかったので、知り合いの大工さんにお願いすることにしました。


多分、この頃が一番人生で楽しかった時期だったと思います。

もちろん今も楽しいですが、あの頃は、何も考えず、ただ、毎日のログハウス造りを楽しんでいたように思います。


毎日のように友達や知り合い、そして、ご飯をちゃんと食べてるのかと親戚の人がご飯や差し入れを持参で手伝いに来てくれて・・・

休憩時や昼食時は笑いが絶えませんでした。


1月の末だったと思いますが、前の家の引渡しがあり、出て行かなければいけなくなり、
まだ、窓も入っていないログの一室の開口部をブルーシートで囲い、そこに寝泊りしてました。


本人は、それすら楽しんでいたわけです。

マッキンリーを経験した自分にとっては、仮設とはいえ、電気はつくし、水道はあるし、ストーブはあるし、そして屋根がついてるは、マッキンリーと比べればもう、これ以上の環境はないわけです。


しかし、親戚をはじめ、周りの人たちはかなりかわいそうだと思っていたらしいです。


そんな状況の中、あまりにもかわいそうだったからと本人は言ってますが、毎日朝ごはんから届けてくれたのが今の愛妻です。


毎日、心配した親戚の叔母さんが3日分くらいのカレーライスを作ってきてくれたり、お見舞いにもらった缶詰を食べたりして生き延びてました。

体重も今より15キロくらい少なかったと思います。


そんな時に、朝から暖かいお味噌汁が届くのですからたまったもんではありません。


でも、その優しい気持ちは少しは今でも変わりません。


本当に感謝してます。


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